イベント

どんど焼きの意味と由来は?またいつやるの?

どんど焼きに参加したことはありますか?

大人になってからは参加する機会が少なくなりましたが、私も子どもの頃、近所のどんど焼きに参加していました。

正月飾りや書き初めなどを焼いてお団子を食べるというのが私にとっての「どんど焼き」でした。

呼び名も「どんど焼き」ではなく、当時の私は「どんどん焼き」だと思っていました。

どんど焼きにはどんな意味や由来があるのでしょう。名前の由来もご紹介します。

どんど焼きの意味は?

どんど焼きには参加したことがあるけど、何のためにするんだろう。と考えたことはありませんか。

どんど焼きとは、正月に年神様をお迎えする際に飾った門松などの正月飾りを、正月の終わる日である小正月(115日)に御焚き上げをして、年神様をお送りするというものです。

また、満月の日に神聖な火による浄化の力で、地域の人々の1年間の災いを払い、豊作や商売繁盛、家内安全、無病息災、子孫繁栄を願うことを目的として行ってきました。

どんど焼きはどんなところで行われるのかというと、広い空き地や田んぼ、神社の境内で地域の人が青竹や藁などでやぐらを作ります。

各家庭の正月飾りや御守り、御札、熊の手、子供たちの書き初めなどを焼いてもらうのです。

書き初めが焼いたときに高くまで上がると「字が上達する」と言われていたので、自分の書き初めを探したこともあります。

やぐらの中に青竹が入っているので、パチンパチンという大きな音がします。

小さい頃はそのパチンパチンという音が怖くて、傍に寄れなかったほどです。

長野や山梨では、どんど焼きを「道祖神祭(どうそじんまつり)」と呼び、年神様をお祀りするのではなく、道祖神をお祀りするようです。

ちなみに、道祖神とは、道端に石像で祀られている路傍の神様です。

地域の守り神、子孫繁栄、交通安全の神様として信仰されています。

いずれにしても、神様を祀り祈願することなのですね。

どんど焼きの由来は?

どんど焼きの由来は諸説ありますが、左義長(さぎちょう)というものが始まりとも言われています。

左義長とは、平安時代の宮中行事で115日の小正月に行われる火祭り行事でした。

起源は悪魔払いの儀式だったと言われています。

陰陽師が宮中で行っていたものが民間に広まり、現在に至ったとされています。

また、鷺鳥(さぎちょう)という鳥が田畑を荒らすのを追い払うための行事として、田んぼでやぐらを組み、お正月飾りや御札などを燃やしたことが始まりだという説もあります。

ですから、田んぼにやぐらを組んで行う地域もあるのですね。

いずれにしても、地域の人々の幸せや繁栄を祈っての行事ということです。

また、「どんど焼き」という名前も面白いと思いませんか。

名前の由来も諸説あるようです。

例えば、火を燃やすときに「尊(とうと)や尊(とうと)」言いながら燃やし、後に「どんど」に変わったという説。

どんどん燃える様子からという説もあります。

ちなみに、私はどんどん燃えるから「どんどん焼き」だと思っていました。

地域によっての呼び名もそれぞれ違います。

・東北地方「どんと焼き」

・長野県・山梨県 「道祖神祭」

・静岡県「さいと焼き」

・近畿・北陸周辺「左義長」

・関西「とんど焼き」

・九州「鬼火たき」


色々な呼び名があるので、その地域によって内容も少しずつ違うのでしょうね。

ここで日本最大級のどんど焼きをご紹介しましょう。

山口県長門市の日本海に浮かぶ青海島の大日比のどんど焼きです。

出典:ながとと

大日比のどんど焼きは8mの「どんど」というやぐらが組まれ、市内外から見物に来る方がいるほどなのです。

一度見てみたいものですね。

どんど焼きはいつやるの?

地域にもより若干違うのですが、小正月と呼ばれる115に行われます。

小正月になぜ行われるのかというと、正月が115日までという見方をするからなのです。

現在では祝日に合わせて行うところも多く、115日より前に行われる地域も多いようです。

小学生の頃、冬休み中に上級生と一緒に地域の家を回って、どんど焼きに出すお正月飾りなどを集めたことがあります。

寒い時期で冬休み中なのに、行きたくないと子供だった私はそんな風に思ったことがありました。

でも、どんど焼きの当日は楽しくて、最後に御団子を焼いて食べるのがとても楽しみでした。

まとめ

昔から馴染みのあるどんど焼きですが、それには人々の幸せを願うための行事だったのですね。

馴染みが深いからこそ見過ごしてしまいそうですが、歴史を知るとまたどんど焼きに参加したくなります。

次のどんど焼きには火の始末には十分気を付けて、豊作や商売繁盛、家内安全、無病息災、子孫繁栄を願いつつ楽しみましょう。