
気候が温かくなってきた4月中旬頃から空を優雅に泳ぐ鯉のぼりを見かけるようになりますね。
郊外へ行くと川の端から端に色とりどりの鯉のぼりが泳いでいるのをよく見かけます。
端午の節句が近いので鯉のぼりが空で泳いでいるのですが、端午の節句に飾る五月人形はなぜ飾るかご存知でしょうか。
五月人形の由来や飾る時期をご紹介します。
五月人形を飾る意味と由来は?

五月人形は端午の節句に飾る鎧や兜などの人形のことです。
端午の節句とは、男の子の健やかな成長をお祈りする年中行事です。
五節句の中でも多くの方に親しまれている年中行事です。
ちなみに、五節句とは
人日(じんじつ:1月7日)
上巳(じょうし:3月3日)
端午(たんご:5月5日)
七夕(しちせき:7月7日)
重陽(ちょうよう:9月9日)
のことです。
なぜ、五月人形を飾るのでしょうか。
端午の節句とは、旧暦5月の最初の午(うま)の日という意味。
また、節句というのは季節の変わり目という意味があるので、もともと無病息災を願う風習がありました。
菖蒲(しょうぶ)やヨモギの葉を軒先に吊るしたり、菖蒲湯に入ったりすることで厄除けをしたといわれています。
鎌倉時代には、武家では鎧や兜の手入れをするため、風通しを良くし、カビや虫食いを防ぐため、家の中に鎧や兜を飾る風習があったと言われています。
また、武士にとって鎧兜や甲冑などは大切な装備であり、五月人形には「わが子を守ってもらうように」との願いが込められているのです。
その風習が端午の節句に五月人形を飾るようになった由来と言われています。
いまでも端午の節句では、その家に誕生した男の子の健やかな成長を願って、鎧兜などの五月人形が飾られ、お守り代わりになっています。
五月人形の代表的な人形は、
金太郎
金太郎とは、源頼光の家来「坂田金時」の幼名で、子供のころからクマを投げ飛ばす怪力があったと言われています。
牛若丸
源義経の幼名で弁慶を負かして家臣とした武芸に優れた人物。
桃太郎
鬼退治で知られる勇ましい男の子。
などがあります。
どれもたくましい人間に成長して欲しいとの願いから五月人形とされています。
男の子は鎧や兜を飾ると鎧を着たくなったりしませんでしたか?
うちの息子は小さい頃、五月人形を飾るといつも「着たい」とせがんできました。
男の子は本能なのか、鎧兜を見ると「カッコいい」と思うで息子もその一人でした。
戦隊もののヒーローに人気があるのもある意味、本能と関係しているのかもしれませんね。
続いて、端午の節句といえば、忘れてはいけないのが縁起物の柏餅、菖蒲湯ですね。
>>>端午の節句に菖蒲湯に入るのは何故?ちまきを食べる意味は?<<<
柏餅は、お団子が柏の葉で包んでありますが、柏は新しい葉が出てから古い葉が落ちるので、そのことから家系が絶えず続いていく縁起物の食べ物になったのです。
菖蒲湯は昔から厄除けで浸かっていたとされていましたが、菖蒲には強い香りだけでなく、血行促進や疲労回復などの効能もあると言われ端午の節句に入るようになったのです。
確かに、菖蒲湯に入ると体が温まりますね。
冷え性の私はスーパーで菖蒲が商品棚に置かれていると、必ず手に取ってしまいます。まだ一度も菖蒲湯に入ったことがない人はぜひ一度入ってみてください。
五月人形を飾る時期は?
端午の節句に飾る五月人形は、春分の日である3月20日から4月中旬に飾り始めると良いとされています。
その辺りから鯉のぼりが空で泳いでいるのを見かけますよね。
五月人形は誕生した男の子の健やかな健康を願うため、また、お子さんの身代わりになって災いから身を守るという意味があります。
ですから、お子さんと同じように大切に扱いましょう。
仕舞う時に戸惑わないようにどのように収納されていたか写真などを撮って箱に一緒に入れておくといいでしょう。
飾る際には、手袋などで人形が汚れないようにするのもおすすめです。
また、お子さんが成長されるといつまで飾るのかしら?と思う方もいらっしゃると思います。
いつまで飾らなければならない、というルールなどはありませんが、
お子さんが大きくなり、転居やライフスタイルなども変わったら頭をよぎることです。
一概に言えませんが、強いて言うのであれば、お子さんが成長し自立されたら五月人形の役目は終わったと捉えてもいいのではないでしょうか。
役目の終わった五月人形は供養していただける神社や寺院がありますので、お近くの神社や寺院を調べてみてはいかがでしょう。
まとめ
五月人形の鎧兜や柏餅、菖蒲湯など、それぞれに意味がありました。
日本古来の風習がいまだに残っているのは日本人として嬉しいことです。
次の端午の節句の意味を知って迎えてみると今までとは違った年中行事になるのではないでしょうか。